うなぎ伝説あれこれ


「山岡さん。最近、うなぎ食べてへんなぁ」
「はぜどん。あんた、うなぎは家で食べるか、うなぎ丼屋さんに食べに行くかどっちや?」
「そやなぁ。錦の大国屋(おおくにや)さんで買って来てたべるほうが多いな。」
「そやろ。だいたい京都の人は、うなぎを買って家で食べはる方が多い」
「なんでやぁ?」 「なんでや云うたら、京都のうなぎ丼屋さんは、関東風がほとんどやねん」
「そやけど、お店で売ったはるうなぎはみんな関西風やで! 錦の大国屋さんかて腹開きやし。蒸したはらへんで」
「そやろ! そこが京都の七不思議やねん。
「ほんまは、どっちがおいしのや?」
「どっちかておいしいとおもうで」
「テレビで云うたはったんやけど。“京都人はうなぎ好き”というはほんまか?」
「そや。日本で一番うなぎの消費量が多いのは、京都や。何でや云うたら、“万葉集”にもうなぎの歌が載ってるんや」
「うそ!?」

「ほんま。大伴家持が痩せてる年寄りにあてた歌に、 『石麻呂爾我物申夏痩爾吉跡云物曾武奈伎取食』(石麻呂に我物申す、夏痩せに吉と云うもの、そうなぎとり食せ)いうのがあるねん」

「ふーん!」

「それから。あと一つ、『痩々毋生有将在乎波多也波多武奈伎取跡河爾流勿』(痩すやすも生けらばあらんをはたはたうなぎを取ると河に流るな)っちゅうのもある。」
「漢字はむつかしいわ。もーちょとわかりやすう“ひらがな”でいうたら、『いわまろさん、云うとくけど、夏痩せにはうなぎを食べるのがええで。』
という意味や。もう一つは、『家持はん、痩せて痩せてこんなに細い体でうなぎを漁り に河に入ったら流されてしまうわ。』という歌や」

「すごいな。そやけど、平安時代に蒲焼食べたはったんやろか」
「それはないと思うわ」

「ほな、どうしてたべたはったんや?」
「徳川時代正保年間(1644〜47)の『料理物語』にうなぎ料理は、すし、なます、かばやき、山椒みそ杉板やき、さしみ、素焼きにして食すとかいてある」
 「すし!?」
「作り方はわからんけど、うなぎのすしは宇治丸と云うんや。まぁ、鮒鮨と同じ料理方法やと思う」
「何で、蒲焼て云うのや?」
「昔はうなぎの口から尾にかけて竹串を通して焼いてはたんや。その形が蒲の穂に似てるさかい『蒲焼』て云わはったんや。」
「ふーん」
「約八百六、七十年ほど前に『かばやき』という言葉が文献にでてくる。今みたいな、うなぎを裂くという技法はもっと後からや」

「関東は背開きで、関西は腹開きやろ。どっちが先なんや」
「そら、腹開きやろ。かばやきを焼くのには醤油がいるやろ。大体、江戸は醤油が一般的やない時代があったんや。醤油は『上り醤油』と云うて、江戸は上方から輸入してたんやで。昔は関東でも腹開きやったんや」
「ほんま!」

「徳川時代の元禄(1688〜1703)頃に今みたいな『蒲焼』の形になったんや。
元禄年間に上方で刊行された『産毛』という本に、四条川原で金串に二つ切りにしたうなぎを並べて焼いたはる挿絵が載ってる。今の『蒲焼』と同じ形や」
「三百年も前からか!」
「京都では、そのころから露店のうなぎ売りの前の行燈(あんどん)に『うなぎさきうり』、『うなぎかばやき』と書いてあったんや。徳川時代中期後半の黄表紙の挿絵にもまだ『うなぎさきうり』の看板は載ってへん」
「ほな、江戸はいつ頃からや?」
「明和から天明年間(1764〜88)頃に『大かばやき』と書いた行燈が出てくる。おもしろいのは上方も江戸も露店は、遊廓の傍にあっんや」
「うなぎ丼は、江戸時代からあったんか」 「初めは『うなぎめし』と云うて文化年間(1804〜17)頃に売り出したんが始まりやと云われてる。
天明年間頃は『江戸前大うなぎ附めし』という形で売られてたんや」

「うなぎ丼とはちがうんや!」
「おもしろいのは『うなぎめし』は、うなぎ屋さんが考えたんとは違う。
享和年間頃、うなぎ好きの大久保今助という人が“かばやき”の冷えるのを防ぐために、炊きたてのご飯を重箱に入れて買いに行ったのが始まりや。
それから、そこのうなぎ屋がそれを売り出したら大評判になって、江戸中のうなぎ屋がそこの真似をしたという話しや」

「大阪は昔からうなぎ丼を“まむし”て云うやんか」
「徳川時代のうなぎめしは、今みたいにご飯のうえにかばやきをのせたもんと違う。
ご飯の間にかばやきを挟み込んでたんや。明治時代の上等の“うなぎめし”はご飯の間にかばやきを挟んでその上にまたかばやきを載せてたんやて」

 「七月の土用の丑の日には、なんで“うなぎ”を食べるんや?」
 「伝説的な話は、ある時うなぎがあんまり売れへん日が夏に続いたようや。
うなぎ屋さんが、平賀源内にどうしたらええか相談しにいったんや。平賀源内は『本日丑の日』と紙に書いて店先に張り出したんや。」
「ほんで、どうなったんや」
「客が押しかけて来て、うなぎが売れはじめたんや。平賀源内はさっきはなした『大友家持の詩』を知ったはたんやなぁ」
「ほんま!」
「別の説もあんのや。
昔、暑い夏の日、ある大名が旅行に持って行くうなぎを沢山注文しやはったんや。うなぎ屋さんはいっぺんにできへんので、子の日、丑の日、寅の日の三日間に分けて焼かはったんや」
「ほな、子の日、丑の日、寅の日やんか!!」
「かばやきを三つの瓶に分けて入れ、それぞれに日附いれて土蔵に保管して、納める時に取り出して瓶を調べたら、“丑の日”に焼いたうなぎだけが、どうもなかったんや」
「うん!」
 「ほんで。そのことが江戸中のうなぎ屋さんの間で大評判になって、次の年から『土用の丑の日』と書いて、うなぎを大売り出しにした。と云う話も残ってる」
「土用の丑の日の話もええけど、おなかが空いた!」「ほな、はぜどん。錦の大国屋はんでうなぎ蒲焼を買って、家で昔の“上等うなぎめし”でもしょうか。」
 「かばやきの温め方は、どうすんの?」
「電子レンジで2分30秒。ラップはかけない。だしもかけない。」

「もっとくわしくおしえて!」

 「それは、また・・・・・つづく」

「ほんまやなぁ!!!」

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