「和菓子屋さん Q&A」

今回は和菓子の鶴屋長信さんから、店名にまつわる話しを、Q&A方式でお話ししていただきます。
<Q>
和菓子屋さんに亀屋さんと鶴屋さんという名前がつく店が多いのはなにか特別な理由があるのですか。また、鶴亀のつく店はお互い何か関係があるのですか?

<A>
京都以外の都市では、普通お菓子屋さんというと洋菓子屋さんと和菓子屋さんという2つの分類で足りるですが、京都の旧市街のなかでは、まず、おまんやさんともちやさんがありおまんやさんは普通餅や赤飯を扱いません。それは、茶道や朝廷の儀式に用いられた菓子を作ることの許された江戸時代の上菓子屋仲間に由来いたします。その伝統を引き継いでいるお店やその店で修行してそこからのれんわけをした店がその伝統をまもっているからです。江戸時代以前の上菓子屋仲間の中に、五亀二鶴といってもともとの本家筋にあたる五軒の亀屋さんと二軒の鶴屋さんがありました。

現在の亀屋OO、鶴屋XXという名の大部分はこの五亀二鶴のお店から暖簾分けされたり何かの関係があったところがほとんどです。しかしながらすべて亀屋鶴屋がこの五亀二鶴と関係あるわけではありません。ぜんぜん別の理由からつけられたところもあります。それは、鶴亀は単に縁起がよいからというだけでなく、江戸時代にすでに菓子屋の代名詞みたいになっおり、亀屋鶴屋を名乗ることすなわち、いいかげんな商品は作らない、技術があるんだ、というお客様に対する宣言でもあったからです。ですから自信のある店はこぞって亀屋鶴屋を名乗ったというわけです。

<Q>
こんなに多くの亀屋さん鶴屋さんがあってややこしくて不都合はないのですか?


 
<A>
確かにお客さんには迷惑をかけている部分もあるでしょう。鶴屋長信と鶴屋吉信、亀屋良長と亀屋良永そして亀屋清永は、お互い一文字違いだけだったり、読みは全くいっしょだったりしますが、五亀二鶴の中のお店でありお互い昔から全く関係はありません。

しかしこれは、創業当時の状況を考えてみればよくわかると思います。
そもそも、冷蔵技術のなかった昔は菓子屋は自分とこの町内とその隣の町内ぐらいしか商圏はなかったのです。ですから似たような名前で商売をしていてもほとんど問題はなかったのです。今でこそ自動車で20分も走れば上記のお店をすべて回ることができるでしょうが、江戸時代でならば例えばうち(鶴屋長信、四条麩屋町)から鶴屋吉信さん(堀川今出川)まで行くだけで多分半日ががったでしょうから。



当店ホームページもご覧下さい。


〒600−8004
京都市下京区四条通麩屋町東入る奈良物町361
本家 鶴屋長信      能勢康弘 (泰弘)

(075)221-1950 Fax(075)241-9130
e-mail:tsuruyanaganobu@ma4.justnet.ne.jp
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