プロフィール
【祇園石段下いづ重 公式ホームページ】
https://gion-izuju.com/
いづ重は、明治末年、近江(滋賀県)出身の初代重吉が、奉公先京寿司の名舗いづうさんより、のれん分けをゆるされ、創業いたしました。出発は、八坂神社の東、眞葛ヶ原(マクズガハラ)にて妻と二人母屋仕込の寿司をつくり売ったそうで、巻寿司八銭、箱寿司八銭、いなり寿司も八銭、なんでも八で末広がり、とまいりましたそうでございます。
大正のなかごろ、三條大橋の東に、店を構えることができ、ついで昭和にはいってからは、五條大和大路にも店を出すことができました。当時のいづ重の仕事は主に、料理屋さんのコースの一品で、中皿と呼ばれた、一口ほどの寿司を注文に応じ納めるというもので、季節、その日の座敷の趣向、お客の好みなどを考え様々な花や京の風物詩などを当意即妙に造りましたようで御座います。
私が若い頃は、『バランをチャッチャッと切ってそこのガラスに貼ってくれはんね、チョウチョとか。』てなことをいつまででもしゃべってくれるお年寄りが何人かいらっしゃいました。
祇園は昔っから住んでる人が多う御座いまして、また私もそういった話が好きで聞いては書きまた聞きに行きしておりました。
戦争が始まって店の者も兵隊に取られます、魚も無くなる、料理屋さんの宴会もせんように言われる、しんどかつたと思います。そこへさして三条も五条も強制疎開、道を広げるから一週間内に立ち退きなさいとのことでございました。どうなるか解らんのにこの頃の人はみなさん大変やったと思います。
以後いろいろな方にお世話になって、戦後今の祇園さんの西楼門前 祇園石段下へ御縁があって参った次第でございます。