京都の逸品30

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京扇子・うちわ

木簡を起源とする扇は物を書き残すために生まれてきました。 平安時代、宮廷で用いられ、時代を経て香道、茶道、舞踊などの発展に伴い、僧侶、芸能の世界にまで広がり、それぞれに用いられる扇子が作られるようになりました。 江戸時代になってからは、一般庶民にまで普及するようになりました。 永い間、文化の都であった京都でのみ必要とされ、作られるようになったのが京扇子の始まりと言われています。 初期には中国へ輸出され、16世紀にはヨーロッパにも伝えられ、現在では様々な扇が製造されるようになりました。

古い伝統と雅やかな用途美を現在まで保ってきた背景には、骨屋、絵師、折師、仕上師など多くの人々によって、二十もの工程を経て完成される分業体制があげられます。 それらのひとつひとつ、すべてが手作業です。 なかでも「つけ」と呼ばれる仕上作業が最も難しく長年の技術を要すると言われています。

扇子の種類には大きく分けて、板扇、紙扇、絹扇があり、それぞれ作り方も材料も異なります。 用途的には祝儀扇、能扇、舞扇、夏扇、茶扇があり、特殊な鉄扇、香扇、桧扇など極めて古くから続く有識扇などもあげられます。

現在京都には、扇やと名のつく店は四十軒近くありますが、製造師専門であったり、夏扇専門であったりと販売も細かく分かれています。 それだけ需要が多くあったと同時に形式や形状が様々な種類に対応してきたわけです。 絵師も宮崎友禅斎をはじめ俵屋宗達、尾形光琳など江戸期の町絵師達により様々な図案が生み出されました。

京扇子はその都の文化を背景に華やかさと気品を備えたデザインが特徴となっており、日本では九十%のシェアを誇っています。 一方、京うちわは地紙の中に多くの竹骨を持つ朝鮮壇扇の流れを汲み、団扇面と把手が別に作られ、「差し柄」の構造になっていることが大きな特徴です。 京うちわは「都うちわ」とも呼ばれ、宮廷にも用いられ、極めて優美な絵画が描かれてきました。 又、一般に普及し、招涼の用具としてばかりでなく、その優美さが人々に喜ばれています。

京刃物

平安時代から京都は都であったため、その地の利を生かして、明治の初め頃まで全国を代表する刃物の生産地となりました。 都の繁栄を表す様々な工芸、造園、建築、華道などの文化が花開いた京都において、京刃物はこれらの担い手である専門職人の道具として発展し、今日に至っています。 京都の鍛冶師がつくる京刃物は、陰ながら京都の文化を支える大きな役割を担ってきたのです。

平安遷都(794年)により優秀な鍛冶集団が奈良より京都へ移り住み、京刃物の歴史が始まりました。 京都に都が置かれ、この地が政治経済や物流の中心となりましたが、それゆえに刃物を造ることにおいても優れた立地条件を備えていました。 それは、鋼材としての出雲地方の砂鉄や玉鋼、製造工程で使用する伏見周辺の土、丹波地方の松炭、そして良質の水、さらに刃物を研ぎ上げる時に必要な鳴滝の天然砥石、といったものが入手の容易性などに挙げられます。 その地の利を生かし、明治の初め頃まで全国を代表する刃物の生産地となりました。

京都の伝統産業である、西陣織、扇子、竹工芸、木工芸、造園、建築、料理、畳、瓦、そして華道などあらゆる分野において、京刃物はそれらの専門職人の道具として発展し、今日に至っています。 京刃物は、陰ながら京都の文化を支える大きな役割を担ってきたのです。

京刃物の特徴として、現在でも分業方式をとらず、多くの場合、一人の鍛冶師が全工程を仕上げる一貫生産方式をとることが挙げられます。 京刃物は包丁、鋏、鋸、鉈、鎌、筍掘り、彫刻刀など、日常的に使われるものから専門職の道具まで、多種多様に製作されているものの、鍛冶師の数は年々減少傾向にあるのが現状です。

京印章具

文字の印影を用いて特有の痕跡を残します。

印章文化を持つ国では、実際の取引において、印章を持参した者が本人(または真正の代理人)とみなされます。 用途によって書体を選ぶ傾向もあります。 重厚な書体は重要度の高い印章に使用されます。

京印章は中国の漢時代の作風を色濃く受け継いでおり、字体は角ばって整然とした印象のあるものが主体となっています。 中国で発達した印章が、聖徳太子の時代にわが国に伝わったと言われています。 平安京が開かれた京都では、官印などが多く作られていました。 認証・決裁の手段や権威を象徴する印として常にそれに相応しい技術と風格が求められたのです。 江戸時代になると、庶民にまで印章が普及し、需要が急増し、わが国最初の印判師が住んでいたことから、京都は印章の中心地として発展してきました。

京都の印章の特色は、中国の漢時代の印章最盛期の漢印といわれる銅印の作風を受け継いでおり、いわゆる漢印篆を主体とした重厚で雅味豊かな印章が多いところです。 黄楊、水牛、象牙などを素材に伝統的な京印章が制作されています。 京印章はその持ち主と用途をしっかりと踏まえ、文字の表現、伝統的な彫刻技術を持って作られます。 京印章の作風は、代々引き継がれてきた伝統や知恵、職人の技術の高さという意味で、これからの時代、その風格はますます高められていくでしょう。

京針

「京都」は着倒れと言います。

京都人が晴れの場で西陣織や友禅染めなど高級な着物を着るためにお金が破綻してしまうという意味で、京都人を見栄っ張りだと皮肉って使われます。 一方でそれは相手を精一杯もてなす気配りでもあることから『気倒れ』から来たとも言われます。 こうした京都の文化にとって、京針はなくてはならないものでした。 京都の名物として歌にも歌われた「京針」は、荷物にならない良質の京土産と喜ばれ、旅人によってその名が全国に知られるようになりました。

みすや針は京都土産の代表格として知られます。 1651年宮中の御用針司に取りたてられ、1655年、後西院天皇より「みすや」の屋号を賜りました。 御所内での針作りは、針への清めの意味と秘術であったその技も漏らさぬようにとの配慮から、御簾(みす)の中で仕事をしており、その様子から「みすや」の屋号を頂戴したものではないかと伝えられています。

針は和針、メリケン針、特殊針に分類されて「みすや針」などの和針は針穴が丸く、針先が徐々に細くなっており、刺しやすく曲がりにくいのが特長です。 みすや針の一番の特徴は、縫うときに抵抗がないことです。 針の先に目に見えない程度の針先を切っており、繊維を切断しないようになっています。 針の表面には研磨の工程でごく細やかな縦筋をつけており、繊維を通るときの摩擦を減らし、布通りをよくします。 針先は円形の穴で、内側を磨くことで糸が引っ掛からず、糸切れをしにくいです。 強度は先の部分は固めで、針穴周辺は柔らかめ、銅部分は弾力を持たせるよう独自の熱処理が施されています。 この為「みすや針」には弾力性があります。

京料理

京料理とは、千年の都であった京都で発展した、日本料理の皇宮料理のことです。

有職料理のしきたり文化と本膳料理の技術、そして精進料理の作法と、それぞれの信仰心の良い所を、茶の湯のもてなしの心で簡略化し、再構築されたものです。 現代の京料理は、京都の料亭料理の料理人が工夫をこらした懐石料理を基本としたおもてなしの料理の代名詞となっています。 京料理は、日本料理の原点となる皇宮料理のことで、京都料理ではありません。

現在の京都に都が建てられた794年から、山城の国の一部が都となり、現在は京都市の中心部にその場所が残っています。 それ以前は、長岡京、大津京、平城京、藤原京他、多くの古都があり、それぞれの場所でその時代の京料理が作られていました。 ただ、現在の京都の地に千年以上都が置かれていたことで、京都の料理が京料理と呼ばれがちであるだけであり、本来は都のある場所に宮中のおもてなし料理としての京料理があるはずです。

平安時代には公家のしきたりから、有職料理が発達し、この時代は公家出身の料理人の作る料理が京料理でありました。 鎌倉時代以降には、武家のおもてなし料理として、本膳料理を使った饗応というおもてなしの宴が流行し、室町時代にはこれが完成して日本料理の最高の贅沢として京料理となっていきました。 江戸時代に入り、平和な時代になると、精進料理や、茶の湯の会席料理が発達し、その後、利休茶道の発達により生まれた懐石と、江戸中期の文化・文政に出来たと言われる料理茶屋の会席料理の区別が分かりにくくなり、現在では料理屋の料理は会席と呼び、茶事の料理を懐石と呼ぶようになりました。

現在の京料理は、本来の宮中でのおもてなし料理ではなくなり、有職料理、本膳料理、精進料理、懐石と会席が渾然一体となったものとなりました。 京都の料理人が先達の教えを受け継ぎ、さらに工夫を加えたおもてなしの料亭料理となっています。 本来は、現在の都である東京の皇室で出されるべき京料理は、明治の西洋食文化を重視した政策により西洋料理となり、現在もそのようになっています。 その結果、古都の最も長期にわたって都であった京都市に本来の日本の食文化は残ることとなり、現在、料理人として料亭経営を引き継いだ人達だけが、京料理を守っています。

京漬物

冬の底冷えに代表される湿度の高い気候の中で、肥沃な土壌と良質で豊かな水が育てた京野菜は、歴史と伝統に育まれた京都の食文化の源です。 味も良く色や形も多種多彩で個性的な野菜は様々な食べ方を発達させました。 京漬物は、新鮮な野菜を塩漬けし、発酵させることにより、独特の旨み・風味を生み出しました。 従来、保存食であった漬物を伝統の製法と工夫を重ね、洗練された調理法へと高めたと言っても過言ではありません。 伝統京漬物である「千枚漬」「すぐき」「しば漬」をご紹介します。

「千枚漬」京都の冬を代表する伝統野菜・聖護院かぶらを厚くむき、大きな鉋で薄切りにします。 樽の底から並べ塩を振ります。 手作業を丁寧に繰り返し、2日から3日間下漬します。 余分な水分を切った後、かぶらに昆布と調味液(砂糖・酢など)を交互に重ね、本漬します。 2、3日後、樽から出すと、舌触り滑らかで上品で優雅な味わいの逸品に仕上がります。 洗わず、銀杏切りにしてお召し上がり下さい。 壬生菜の浅漬と一緒に、いくら、スモークサーモン、ロースハムとの相性も抜群です。 江戸時代の末期、宮中の料理人が天皇の嗜好に合うように工夫し、白く美しいかぶらを薄く「千枚に削ほどに削った」漬物をつくり上げたのが起源。 ひと樽に漬け込む枚数が千枚以上になることから名付けられたと言われる。 お歳暮などの贈答品や土産として人気が高い。

「すぐき」秋から冬にかけて収穫した上賀茂特産のすぐきかぶらを皮むき塩で1昼夜下漬する。 繊維の柔らかくなったものを洗浄後、渦巻き状に一段ずつ適量の塩をふり、テコの原理を応用した重石のかけ方「天秤押し」(丸太棒の先に重石をぶら下げる)という独特の方法で、1週間から10日間本漬にする。 さらに40度前後の加熱室・室(むろ)で約1週間乳酸発酵させる。 熟成された酸味が特徴です。 よく水洗いし、飴色のかぶらの部分はお好みの大きさに切り、葉は細かく刻み、お召し上がり下さい。 温かいご飯だけでなく、チーズのようにお酒のつまみにも最適です。 桃山時代、上賀茂神社に奉仕する社家の邸内で栽培されたのが始まりで珍しい高級品として上層階級の贈答品として使われ、永く門外不出でした。

「しば漬」大原は水質も良く、盆地の地勢や気象条件(昼夜の寒暖差があり、霧が発生する)など、色・香り・味の良い紫蘇が栽培されます。 夏場に切った茄子を塩と紫蘇で漬け、自然発酵させます。 独特の乳酸発酵した酸味が持ち味です。 洗わずに刻んでそのままお召し上がり下さい。 チャーハンにしたり、寿司のご飯にも最適です。 平安時代末期、平家物語で有名な建礼門院が寂光院に隠居されていました。 元来、里人が夏野菜を漬け込んだ保存食であった漬物を献上したところ、鮮やかな深い紅色と華やかな香りに感動された。 また、大原女が頭にのせて売り歩く「柴」にちなんで名付けられたと言われています。

宇治茶

鎌倉時代、明恵が宇治に茶種を植えたのが宇治茶の始まりとされます。 室町時代には足利義満の奨励で茶園が開かれ、織田信長、豊臣秀吉の時代も、茶の湯との関係で宇治茶は保護されました。 茶の生産量は多くはありませんが、上質の茶を産し、京都の歴史と伝統に育まれた最高級のブランド緑茶であり続けています。

茶産地として歴史が古く、上質なお茶、優れた製茶技術を有するため、宇治茶はお茶の代名詞的呼称となっています。 鎌倉時代に京都栂尾高山寺の明恵上人が茶を宇治の地に伝えられたのが起源とされ、当時は栂尾の茶を「本茶」と呼んだのに対し、宇治を含むそれ以外の茶を「非茶」と呼びました。 室町時代には足利将軍家や各大名家の庇護を受け急速に発展し、本茶とは宇治の茶を意味するようにまでなりました。 その後も朝廷や徳川幕府、茶道家元に重く用いられる事で独特の進化を遂げました。

江戸時代には永谷宗円が宇治茶製法と呼ばれるお茶の作り方を生み出し、これが全国に拡がり現在の煎茶に発展しました。 茶園は古来より現在の宇治市から京都府南部を中心に滋賀・三重・奈良と県境を接する地域にまで拡がっています。

昨今の表示基準の厳格化の波を受け、京都府茶業会議所は宇治茶を、先の4府県産茶を京都府内において仕上加工した緑茶のことと定義しています。 産出される茶種は、古来碾茶(抹茶の原料)を主とし、玉露や煎茶、番茶に至るまで日本茶の主たる種類は全て産し、生産量は多くないですが、その品質の高さは歴史的由来と相まって日本茶の最高峰と呼ぶに相応しいものです。 碾茶や玉露は現在も、お茶を一芽一芽手摘みで行われています。

京都では現在でもお客に抹茶を点てて出す慣習が残っています。 京都の人にとってお茶が身近な飲料であるということとおもてなしの意味合いが強いことがその理由でしょう。 お客にお茶をふるまうということは、その時間や空間を共に楽しむという気持ちの表れなのです。

【参考文献;
Yahoo百科事典;http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%AE%87%E6%B2%BB%E8%8C%B6/
「京都の事典」ランダムハウス講談社MOOK、2007年発行
京都府茶協同組合;http://www.kyocha.or.jp/

清酒

米と水を主な原料として、発酵させた醸造酒です。

蒸した米を「麹カビ」と呼ばれる微生物によって糖化しながら、酵母によってアルコール発酵させます。 一般的には、発酵が終わると搾って清酒と酒粕とに分離します。 米の磨き加減や、酵母の種類、熱殺菌の方法、添加する副原料の有無や割合などによって、さまざまな品質と風味が作られます。

飲み方は、室温でも、冷やしてもよいです。 また、そのまま温めて飲むこともできる珍しい酒類でもあります。 清酒は、ワインやビールと同じ醸造酒です。 ワイン造りでは、ブドウの糖を酵母が摂取し、アルコール発酵します。 清酒の場合は、米のデンプン質を「麹カビ」と呼ばれる微生物が糖質に変え、その糖を酵母がアルコールに造り変えます。 この「麹カビ」と「酵母」2つの微生物に由来する異なる変化が、一つのタンクの中で並行して進むのが清酒造りの特徴です。 日本には1,500を超える醸造所があり、それぞれの土地の気候や水質、食べ物の嗜好の違いなどによって様々な風味の清酒が生み出されています。 また、約50軒ある京都の醸造所だけを比較してみても、それぞれに個性的な清酒を造っています。

一方で、製法による風味の差異もあります。 代表的な製法を紹介します。

吟醸酒;60%以下に磨いた米と華やかな香りを生み出す種類の酵母を使用します。 そのため果実や花のような香りとなめらかで透明感のある風味になります。 50%以下に磨いた米を使用するものを特に「大吟醸酒」と言います。

純米酒;副原料を一切使わずに米と水だけで作られるものです。 穏やかな香りと豊かな味わいを持ちます。

生酒;低温殺菌をしていません。 新鮮な風味が魅力ですが、変化しやすく管理に注意が必要です。

原酒;搾った後にアルコール濃度の調整を行わない為、一般的な清酒が13%~16%のアルコールを含んでいるのに対し、17%~20%と濃度が高くなっています。 強く、豊かな味わいとなります。

古酒;3年以上、時には20年以上の間熟成させたものです。 木のような香りや、香辛料の香り、まろやかな飲み口で深く複雑な味わいです。

樽酒;清酒を一般的には杉樽で貯蔵し、木の香りをつけたもの。 しばしば、結婚や新年の祝いの会などで「鏡開き」と呼ばれる儀式に使われます。

にごり酒;搾る際に目の粗い布でこすので、白く濁っています。 甘みや酸味が多く感じられます。

時にこれらの製法を複数組み合わせることによって、多種多様な風味が生み出されています。

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