京都の逸品30

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履物

京都には、創業百十余年の和装履物の専門店もあります。 熟練した職人の手から作り出される履物には、同時に「履き心地のよさ」が備わっています。 ここでは、古くから日本の夏のお洒落として人々を楽しませてきた下駄へのこだわりをご紹介いたします。

普段履きとして下駄が一般的だった頃、「履物にぜいたくの詮議せねば嗜(このみ)の粋(すい)を尽したる衣装も栄えず(意味:履物を贅沢にしなければ、どんなにすばらしい衣装でも意味がない)」と言われていたほど、日本人は足元に重点を置き、お洒落を楽しんでいました。 下駄といえば、夏の遊び着である「浴衣」に合わせて履くイメージが強いのではないでしょうか。 もともと下駄は、靴が常用されるまで、日本で最も愛用された履物でした。 古くから日本人に愛されている下駄を一言で表すと、「熟練した職人の手によって作り上げられた、サイズもぴったりな自分だけのオリジナル履物」です。

下駄は、足を置く台(木の部分)と足をかける鼻緒(布の部分)を別々に作られます。 何百とあるそれらを組み合わせて、自分だけのお気に入りの下駄を作るのです。 良い下駄は台に日本の桐を使用しています。 それらの全てが、職人による手作りです。 日本が昔から現在に引き継いできた漆塗りや、鎌倉彫などの伝統技術が、下駄のあの小さな台の上に表現されていて、台ひとつ選ぶのも目移りして大変です。 もちろん鼻緒も全て手作りです。

私どもは、鼻緒のことを「花緒」と呼んでます。 それは、花のように上品で綺麗なものを提供したいという想いからです。 靴のデザインにこだわるのと同じように、花緒の美しさにこだわりを持ち、常に追求しています。 最後に下駄を完成させるのに重要なのは、台と花緒を職人の手で組み合わせることです。

人間は、左と右の足の大きさが若干違うと言われています。 人によっては、1cm以上左右で違う人もいるほどです。 靴ではできない細かな調節を、長年の職人技でぴったりとお客様の足のサイズに合わせます。 これが美しさだけでなく、履きやすさへのこだわりにつながっています。

さらに下駄は履き方にも独特のこだわりがあります。 サンダルは、台の上に足がすっぽり乗る形で履きますが、下駄は台からかかとを2,3cm後ろにこぼして(※)履くのが美しく、粋でおしゃれとされています。 そんな下駄の履き方へのこだわりからも京都らしさが感じられるのかもしれません。 是非、京都にお越しになられた際には、京都の伝統の技術と足元の美学、それと日本人の思いやりがたっぷり詰まった、自分だけのオリジナル下駄を作ってみてはいかがでしょうか。

※こぼす・・・「こぼす」とは京都の言葉使いで、この場合、後ろに出して履くという意味。

和傘・提灯

和傘は、竹の骨に和紙や絹布などを張った傘のことです。

中国から伝えられ、平安・鎌倉時代には貴族が使うようになり、江戸時代から明治時代に洋傘が使われ始めるまで広く一般的に普及したと言われています。 また提灯は和傘と同じく竹の骨を筒状に組み、和紙を張り、中にろうそくを立てた照明道具のことです。 江戸時代にろうそくが普及したと同時期に、一般的に普及したものと言われています。 京和傘は和傘の中でも非常に歴史が長く、平安時代から使われていたとされます。

京都は古都という土地柄、各地の名産品が集まった場所で、京傘も京都独特の生活必需品として洗練されてきました。 最盛期には年間1500万本以上が生産されていたとされますが、明治時代に入ると洋傘が使われ始めたため、生産は急激に減少しました。 今日では、昔のように日常的に使われる事が少なくなりました。

和傘の産地として有名な岐阜をはじめ、京都、金沢、大分、鳥取などに、少数の和傘製造店が残るだけです。 一方で、茶道や日本舞踊、歌舞伎などでは必須の道具として使用され、お祭り時にも多く利用されています。 また、旅館や料亭などではインテリアとしても使用され、風情ある情緒を醸し出しています。

提灯は室町時代には現在の折り畳みの提灯の原型ができたものと考えられ、形は様々で手に持つ弓張り提灯、吊り下げる吊提灯などがあります。 祭事に使われるものは寺社仏閣の名称や家紋が記してあります。 京都では伝統行事や寺社のお祭り時での使用は欠かせませんし、お店の看板としても多く使用されており、日常風景として見かけることができます。

京野菜

また、伝統野菜の中から「ブランド京野菜」を選定し、販売促進に努めています。 その結果、現在では、京の伝統野菜は全国的に広まり、一般的に「京の伝統野菜」=「京野菜」として認識されるようになっています。

古来より京都において、野菜の生産が盛んになり、「京野菜」として発展した要因には、まず、京都の気候風土が野菜の生産に適していたことがあげられます。 京都盆地特有の、冬の底冷えと夏の猛暑による寒暖の差と、年間を通じて暴風など強い季節風が吹かない穏やかな気候。 西の桂川と東の鴨川に挟まれた土壌には上流から流れついた養分が豊かな土砂が堆積し、川からそして豊富な地下水により良質の水が供給されました。 これらが優れた野菜の生育に最高の環境を与えてきました。

京都には794年に都が置かれて以来、大陸や日本全国からさまざまな文化・物資が持ち込まれるようになり、その中には多種多様の野菜も含まれていました。 それが天皇や公家に供される「宮廷料理」や多くの寺社仏閣で食される「精進料理」に使用され、各種料理の発達にともない、野菜もさまざまな品種改良が進み、高品質な野菜が供給されるようになり、やがて庶民にも広まるようになりました。 京都では、野菜と信仰や風習の結びつきが深く「ずいき祭り」「きゅうり封じ」「大根だき」など現在でも各所に根付いています。

古来より品種改良を重ね、発達してきた京都の伝統野菜ですが、栽培や収穫に手間がかかることや、近年の野菜の大量生産・大量販売の波についてゆけなくなり、絶滅した品種が現れ始めました。 そこで1987年に、新たな定義で絶滅種を含む34種が「京の伝統野菜」として選定され、保存・育成に努められました。 現在では、「伝統野菜」が35種、「伝統に準じる野菜」が3種、「絶滅した品種」2種の合計40種が選定されています。 また、「京の伝統野菜」のうち14種が、一定量の生産かつ京都のイメージが高い品種として「ブランド京野菜」として認定され、伝統野菜の普及に力が注がれています。

「京の伝統野菜」の定義=①明治以前の導入の歴史を有する②京都市域のみならず府内全域を対象とする③たけのこを含む④きのこ類を除く⑤栽培または保存されているもの及び絶滅した品種を含む。

※「伝統に準じる野菜」とは、明治以降に品種改良された野菜。

【参考;高嶋四郎「歳時記京の伝統野菜と旬野菜」トンボ出版刊】

京人形

一般に京人形と言えば、土産物として職人が手軽に作っているものと思われがちですが、その製作工程は分業化されています。 一子相伝的に、頭師、髪付師、手足師、着付け師、と各々別々のところで製作される非常に鑑賞度の高い伝統工芸品です。 それぞれの分業過程で、技術的にも大変高度で細かい作業がなされています。

京都は人形の発祥地と言われ、さかのぼること天児(あまがつ)、這子(ほうこ)の時代を経て、宮中で平安貴族の子供たちが雛(ひいな)遊びとして人形遊びに興じるようになりました。 人の身代りや厄除けの対象ではなく、簡易ではあるけれども、玩具として扱われ始めたのが京人形の源とされています。 時が進み、江戸時代に入ると、3月3日(旧暦)が雛遊びの日となり、座った形の雛人形へと展開します。 男児の節句としても、5月5日(旧暦)の、武者人形や飾り兜が製作されるようになりました。

色々な人形が作られ始めた時代は、それが江戸時代で西陣の高級織物も手に入りやすいという好条件と相まって、節句人形はもとより、加茂人形、嵯峨人形、御所人形等々、技術の向上とともに鑑賞に耐えうる上質の人形が京都で生まれ、現在に受け継がれています。 京人形師のたゆまぬ努力と、作品に込める精神の技が生かされ、日本さらに世界でその価値が認められています。

加茂人形;柳の木地に布地を木目込んだ小さな人形。 伝承によると、元文年間加茂神社の雑掌が神具作りの残材で作り出したのが始まりとされています。

御所人形;三等身白肌の幼児の姿を現し、木彫りに胡粉仕上げが主流。 江戸時代よりその愛らしさ現在も人気です。

衣裳人形;女児の節句雛人形、男児の端午の節句人形武者人形、鎧兜とともに現在の名工の手によって京人形の名に恥じない作品が作られ続けています。

市松人形;江戸時代歌舞伎役者の佐野川市松に似せて作られたと言われ、男の子と女の子があり、出産、節句、結婚のおいわいに需要があります。

京箸

それは単なる2本の棒だが、切る・混ぜる・ほぐす・くるむ・はさむ・つまむ・さす・すくう等々、指先以上の役割を果たしています。 また、素材は植物をはじめ、動物(象牙)・鉱物(銀・ステンレスなど)・合成樹脂(プラスチックなど)と多彩です。 そのうち木地だけでも、竹・杉・桧・松・桑・栗・桜・黒檀・紫檀などがあり、さらに漆芸を施した塗箸があります。 そして、用途も様々な食事箸の他、取箸・料理箸・お茶事用・神事用など、使い分けがされています。 京箸は、この地に都があったことからも京料理や茶道の発展と共に、京の深い食文化の一翼を担ってきたのです。

日本人は箸を使うという行為を通して、独特の美意識や礼儀作法を身に付けてきました。 伝統的で正しいとされている持ち方は、掌の中で2本が2-3cmの隙間を隔てたまま平行に出来ます。 箸の素材や用途は多様で、それぞれ使い分けされています。 日本では、塗り箸など木製が主流であり、次いで竹製が使われています。 京都には400種類もの箸を扱うお店もあります。 京都という都に集まる一流の料理人や茶道の家元たちの厳しい目・ニーズに応える歴史の中で、京都の食文化を支える箸の発展が進んだわけです。

赤杉利休箸:茶懐石料理に使う箸で、杉材の柾目の美しさ、ほのかな香り、手になじむ形、柔らかな触感と最高のおもてなしの箸です。

唐木箸:材料の中でも非常に堅く、重い材質の箸で、木地の持つ自然の色艶が美しく堅牢な箸です。

塗箸:各生産地でそれぞれ特色のある塗りの手法や加飾を施した箸です。

若狭塗箸:螺鈿や金銀箔などを施した豪華な模様が特徴です。

輪島塗箸:漆塗で仕上げた箸に沈金や蒔絵などの絵柄や加飾が施され、優雅な趣があります。

津軽塗箸:漆を丁寧に何度も何度も塗り重ねられ、仕上げに研ぎ出された重層で堅牢な箸です。

筆・和文具

筆(毛筆)は約1600年前、中国から渡来し、日本の文化に溶け込んでいく中で、約1200年前から日本でも作られるようになりました。 仮名文字の発達とともに、日本独特の筆記具として、進化してきました。 筆とともに、文字文化を伝承する道具として、墨、硯、紙が必要とされ、これら「文房四宝」は、各々職人が作り続けてきました。

毛筆で字を書く時には、硯と墨が必要です。 硯の中に少し水を入れて、黒い墨をこすってその黒くなった液体で、紙に字を書きます。 日常的には丁寧に手紙を書いたり、結婚式や展覧会の受付で自分の名前を記帳するときに時折筆を使います。

今日では、筆ペンといって筆にインクが内蔵されている筆もあり、墨や硯は不要なので、多くの日本人が筆ペンで簡単に手紙などを書いています。 現在の一般的な文具店では高価な毛筆を置いているところは少なく、筆ペンや万年筆といった生活に根ざした形で進化した筆が販売されています。

時折外国人観光客で、筆や墨を求められます。 そのような初めて筆を使いたい方には、小学生用の持ち運びに便利なケース付きの書道セットをお勧めします。 そのセットには筆、墨、下敷き、文鎮、水を入れる容器、紙がはいっています。 これさえあれば筆で紙に字を書くという事ができます。

京豆腐・京湯葉

ゆばは昔より今に至るまで、京の華とたとえられる、京都の名産品の一つです。

その由来は明らかではありませんが、その昔中国より仏教の伝来とともに日本に入ってきたものといわれています。 京都の山紫水明な気候風土がゆばの製造に適していたこと、また仏教の都としてお寺が多く、精進料理、懐石料理に欠かせないものとして、現在まで育まれてきました。 最良質の大豆と伝統の技術を以って製造しておりますゆばは、淡白なお味で且つ栄養豊富な京風味が、愛され親しまれてまいりました。

一晩水につけた大豆を擂り潰しペースト状にしたものを大釜で煮て、目の細かい袋にて濾しておからとゆば汁(豆乳)に分けます。 このゆば汁を平たい大きな鍋に移し下から熱を加えると汁の表面に薄い膜が張ってきます。 これがゆばです。 例えば、牛乳を温めると上に張る膜と同じ要領です。 この火加減が大変難しく、現在は湯煎という方法をとって製造しております。

ゆばを大きく分類すると生ゆばと乾燥ゆばに分けられます。 生ゆばは、鍋より引上げたままの生々しいものです。 現在は保冷の設備が各家庭で備わりましたので、生ゆばをご自宅で召し上がっていただくこともできるようになりましたが、それでも冷蔵庫で3日ぐらいのお日持ちです。 生ゆばはさしみとして、わさび醤油、しょうが醤油、ポン酢でお召しあがりいただくと美味しいです。

また、日持ちのするものとして乾燥ゆばがございます。 こちらは常温で2ヶ月ほど保存ができます。 使い方は、ざるなどに入れたゆばに水をざっとかけ、水気を切って2・3分おいてもどした後、鍋にお出し、塩、醤油、砂糖、みりん等でお味をつけさっと炊いてください。 こうしますと、生ゆばと変わらず柔らかくおめしあがりいただけます。 また、お吸い物、味噌汁、水だき、すき焼き、鍋物にお入れいただいても美味しいです。

ゆばは、たいへん栄養価の高い食品として認められています。 その成分は植物性蛋白質、脂肪に富み、消化吸収に優れています。 近年、日本料理・中国料理はもとよりフランス料理やイタリア料理にも利用されてきております。 ゆば自体は淡白な味ですので、これからは各国のお料理にも工夫次第で利用していただけると思います。

西陣織

5世紀に大陸から織物技術がもたらされ、西陣では平安遷都にともない、宮廷文化の中心として綾・錦など高級な織物作りが奨励されたのに伴い、絹織物生産が盛んになりました。 優れたデザインの創造と高い織の技術による、多品種少量生産方式の先染の紋織物であることが特徴です。 装飾は豪華絢爛で、伝産法の指定を受けたもので12の織種があり、織れないものはないといわれるほど多様な織物を生み出しています。

西陣織は染色した糸を使って模様を織り出す織物であり、完成までの工程は20にも昇り、それぞれを職人が分業しています。 794年の平安京への遷都の後、織物組織が立ち上げられ、官営の織物業が営まれました。 しかし、応仁の乱の混乱期に職人がまちを離れ、織物業は衰退します。 乱が終わると再び、職人が京都に集まり、綿織業も復興します。

西陣織と言いますが、京都には西陣という行政区域は存在しません。 西陣織に携わる職人が多く存在する西陣地区は、応仁の乱の際に西軍がこの一帯に陣を置いたことに由来します。 大陸伝来の技術を取り入れ、先に染めた糸を使って色柄や模様を織り出す織物が可能になり、高級絹織物として西陣織の基盤が築かれました。 織の種類は多様でいずれも豪華絢爛です。

西陣織とその産地・西陣は朝廷や豊臣秀吉などによる保護を受ける一方で、大陸の技術を取り入れるなど、優れた織物を生み出すため、常に新しい技術に挑戦し、一層の発展を続けました。 昨今はライフスタイルの変化などから売上高は年々減少傾向にあるものの、我が国の絹織物業の代表的存在であり、我が国最大の高級織物産地であり続けています。

【参考;西陣web西陣織工業組合http://www.nishijin.or.jp/index.html

くみひも

くみひもは日常的に様々な場面で使われる紐の中でも美意識をもち、工芸的な美を伴った「紐」です。

くみひもの組み方は何十種類にも及び、用途に応じて組み分けることも必要です。 昔は刀剣の下緒の御用や、民家で夏に使われる蚊帳の吊り紐などに作られていました。 現在では優雅な伝統工芸品として、主に印籠紐や根付の紐など古美術関係、茶入や茶碗の仕覆の緒など、茶道具関係の紐に使われています。

くみひもの産地は平安時代より京都であり、現在、京都のくみひもは、国から伝統的工芸品に指定されています。 一本一本の糸を組んでいく優雅な伝統工芸品ですが、その生産工程はとても長く、原糸から糸染め、糸繰りなどの細かい作業を経て組加工、仕上げなど細かく分業されています。 古い歴史を持つくみひもですが、時代の移り変わりに伴ってその形状や用途も変わっていきます。

平安時代の意匠は優雅典麗で、用途も服飾に付随する平緒や袖括の緒、冠の緒、などに用いられていました。 鎌倉時代は主に武具の一部として、室町・安土桃山時代には茶道の興隆に伴い、掛軸の啄木など意匠も比較的渋いものとなります。 江戸時代には、羽織紐や組帯、手提袋の緒、髪飾の緒などに使われるようになり、庶民にも広がっていきます。 明治以降は、帯締めの用途を中心に和服の装身具として定着しています。

くみひもの種類は、基本的な組み方だけで約40種、柄の種類なども含めると3,000種類以上にものぼるといわれています。 くみひもは、数十本合わせた糸の束をいくつかの玉に巻き、斜に交差させながら組みます。 斜に糸が交差するので伸縮性があります。 和装の帯締めの多くはくみひもが使われております。 伸縮があることにより、強すぎず、弱すぎず、帯締を締められた方の呼吸に柔軟に対応できるのです。

茶道具

茶道とは、湯を沸かし、茶を点て、茶を振る舞う様式と芸道のことです。

主客の一体感を極意とし、人を持てなす心の美しさを重視しています。 茶碗などの茶道具や茶室の床の間にかける掛け軸は各々が一級の美術品であり、茶事の時間全体を通して総合的な芸術とされます。 宇治というお茶所があり、お茶屋さんもたくさんあることから、京都の茶道具文化は旧来から栄えてきました。 茶道具の一つ一つにつき、京都の伝統工芸の技を誇る多くの道具があります。

茶道では、季節を大切にします。 大きく二つの季節があります。 5~10月は風炉の季節、11月~4月は炉の季節と言います。 初めに習うお点前が、略盆点てです。 鉄瓶に沸かしたお湯で下記の道具を使って、お手前をします。

茶碗:お茶碗には正面があります。 絵のあるものはそこが前です。 お茶をたてるとき、お客様に出すとき、常に正面を向けます。 頂く際は、左手にとって、右回りに回して飲みます。 飲み終わったら、逆に回して正面に戻し、相手に正面が向くようにして返します。

建水:茶碗を濯いだ水を捨てるための器です。

茶筅:茶筅は、お茶をたてるための道具です。 竹を細かく割って糸でかがったものです。 色々な種類があり、使い道も異なってきます。 流儀によっても形や竹の種類が異なっています。

茶杓:棗などからお茶を掬うためのスプーンのような道具です。 主に竹で出来ています。

茶巾:茶碗を拭く時に使う麻布です。

棗:お茶を入れる器の一つです。 木製・竹製や、和紙に漆を塗った物、焼き物などもあります。

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