日本の帽子の歴史
日本でも、埴輪(はにわ)の中に帽子らしきものを被っているものが発見されており、弥生時代のにはすでに帽子の前身となるものが存在していたと言えます。
古事記や日本書紀にも冠や笠(かさ)や作笠(かさぬい)の語が見え、平安朝以降には、烏帽子(えぼし)や、頭巾(ずきん)などがかぶられていますが、これらは「帽子」とは呼ばず、後に外国からやって来たかぶりものに限って「帽子」と呼んでいました。
帽子の名の由来
外国から来たキャップやハットを「帽子」と呼ぶようになったのはなぜなのでしょうか。
一説には、僧侶のかぶる頭巾を「帽子」と書いて「もうす」と読ませていたようです。
帽子の渡来
日本が洋風の帽子を始めて目にしたのは、今から380年ほど前の安土桃山時代、織田信長などの戦国大名が天下を巡り戦っていた時で、フランシスコ・ザビエルなどのキリシタン宣教師が西洋風の烏帽子をかぶって渡来してきました。
当時は南蛮笠、南蛮頭巾などと呼ばれていましたが、南蛮への関心のが高かった織田信長がこれに興味を示し、正親町天皇を招き開催した「京都御馬揃え」にビロードのマント、西洋帽子を着用し参加したことから、帽子に対するひとびとの関心も徐々に高まりました。
しかしそれでも、当時の日本はちょんまげの時代で、洋風の帽子がすぐに普及したわけではなく、本格的に帽子が普及しだすのは、幕末、維新の頃になります。