メールマガジン購読会員様だけにお送りする「京の隠れ名所」シリーズ第参拾八弾





舟岡山


平安京遷都のおり、北を守る神『玄武の小山』としてその真南に大内裏が置かれることになった小高い丘の如き山がある。

当時、これより北、即ち都の外であった衣笠・蓮台野などは風葬場とされていた。
平安末期には平清盛が源義朝らの処刑した処、応仁の乱関連では「舟岡山の戦い」によって数十名の戦死者が出た処でもある。

江戸期には本能寺の変にて殺害された織田信長を祀る地であったが、いつのころからか、特に北側において、浪人武士がたむろするようになり、日雇い用心棒などで食いつないでいた場所でもあった。
職にありつけぬ浪人達も多く、暴行・殺人などは日常茶飯事であったとか・・・・
明治になると、東側に信長を祀る正式な神社として建勲(タケイサオ)社が造営された。




舟岡山全体は現在公園となり、山として小型ながら、もともと標高の高い地域に存在するので頂上付近では市内を一望できる所もあり、しっかり整備されているが、夜となるとやはり人影まばら。

付近の道路上では『チカン注意』の立て札も多く、事の大小はあるものの、犯罪歴もそこそこあると聞く。

人目に付かぬ所は自殺場所として選ばれることも多く、この地も例に漏れない。

昭和59年9月、北部中ほどで見回り中の警官が射殺されるといいう事件が起こった。

俗に『広田事件』と呼ばれた凶悪犯罪事件であるが、犯人は逮捕され、死刑確定となった。

「その事件はココで起こった」と、当時陸上部でこの地でトレーニングを行っていた者は云う。


さて、地元住民は建勲社から舟岡山北参道へ通ずる道、特に西行きを避けるのである。

舟岡山の戦いより、敗者となってしまった武士達を葬る『塚』としての役割もあった同地。
その道は『塚』に隣接しており、彼らの怨念が迫ってくるらしい。




その一角に児童公園がある。
周辺に住む我が知人曰く
公園が”塚”のとこで、敏感なモンやったらズシッと乗っかってくるらしいで〜。

すべり台の影が人影に見えるのは気のせいである。(と、思う)
鎧兜をまとった武士の姿のようにも見えなくもない・・・・

地図

真夜中にオッサン弐人組がカメラを担いでウロウロしてる。

まさしく不審者そのものな取材班どした。