メールマガジン購読会員様だけにお送りする「京の隠れ名所」シリーズ第参拾六弾





池田屋騒動之址


元治元年(1864)6月5日、近藤勇率いる新選組隊士10名が当時この地で営業していた旅籠『池田屋』に於いて、約20名の尊王攘夷派を襲撃したのは、特に幕末通でなくとも知っているほど有名なハナシ。

長州・土佐・肥後を代表する志士たちが、ここで倒幕への密談をしているとの情報を入手した新選組は、まず表入り口にあたる三条通側と裏口を押さえました。

実際の襲撃は、沖田総司を含む裏口隊から。

進入後、すぐさま2階へ。階段を上りきってすぐ右側の部屋へ突入して第一刀は沖田のモノでした。・・・・・



ま、以上のような史実は筆者などが語るまでもないので、このへんで・・・


高瀬川にかかる『恵比須橋』。

三条通りから30mほど北にあるウラ道に池田屋の裏口がありました。

祇園の南側に集結し、倒幕派襲撃の準備を整えた新選組。
方角的に、沖田隊もこの橋を渡ったのかも知れません。
ごらんの通り、今はコンクリート造りになっているので、当時、ここに橋が架けられていたとしてもコレでは無いハズ。


現在の元池田屋裏口周辺。

表の三条通りとはガラリと違い、ヒッソリとした雰囲気。
場所柄、夜になると、それなりに賑やかにはなりますが、当時は如何なるカンジであったのか・・・




たまたま、筆者の知人に江戸期から昭和初期まで、この『池田屋』から東へ2軒、やはり旅籠を経営されていた(現在はマンション経営)方の子孫があります。
訊くと、
「三条大橋西詰めは、東海道の西の終点にあたるさかい、ちっこい(小型の)旅館がズラ〜っと並んでてん。
ほんで、池田屋も昔から今の広さ (現在は銀玉遊技館←コレも有名なハナシ) と一緒やってん。」

と、なると、この事件を描いたさまざまな映像作品にツッコミをいれねばなりますまい。

幅が恐らく5m前後、また当時の室内の高さを考慮すると、『名物』とされる『階段落ちのシーン』は、あまりにも大袈裟すぎるのであります。



三条大橋。

東海道の西端 (厳密には三条寺町であったそうな・・・) であるこの場所は処刑場として使用されていた所で、橋の袂西岸には今も慰霊碑が奉られています。
慶応4年=明治元年(1868)に斬首された近藤勇の首が晒されていた所でもあります。

地図

池田屋騒動を想ひつつ
その跡地で銀玉などをハジクもいとをかし・・・