左は往年のニコンFマウント用テレコンバーター。
よ〜く見ると、露出計連動用の「ツメ」が付いています。
このことからも、古いモノを大事にするココロが現れているように思います。
新しいモノに比ぶれば、重い、デカい、無骨・・・など、確かに機能的には劣りますが、古いモノだけが持っている
『味』
、特にカメラにては、フィルム巻き取りの感じ、シャッター音・・・なによりも撮影された写真そのものに
『味』
があります。
そんなハナシが通じる男ここに在り!
その男は戦前より続く
青木カメラ店
の3代目。
大学卒業とともに、東京に本社を置く写真用品問屋へ就職、時には大手ショップでの販売員として、またある時はセールスマンとして地方を飛び回り・・・
その時に造られた関係が、現在の
各種フィルター&付属用品の激安販売
の基礎となっているのであります。
コダワリは
店内に展示しているいろんな写真。これ全部自分で撮ったオリジナルでんねん。
カメラ屋ってのは、機械売ったらええもんと違います。同時に撮影技術も持って帰ってもらわんと。
撮影についてプロとしてのアドバイスができる・・・
これが
『カメラ屋』
である、と彼は云います。
専門店とはかくあるべし!
店内奥に今もシッカリ使われている『押し切り器』
戦前から営業していたという歴史を感じさせる一品。
その隣にルーターが置かれ、LANケーブルがウジョウジョしてるのと同居しているのがなんとも味わい深いコントラストです。
彼の専らの仕事場は奥の『ラボ』が置かれている処。
手前には1日16時間は点けっぱなしのノートPCが置かれています。
注文貰ろたらスグ対応せんとねぇ〜
そして壁にはモノクロのオードリー・ヘップバーンのポスターが・・・
ええもんはいつの時代でもよろしおます。
御意!
東京勤務の頃、会社がフジテレビの近くにありました。
当時のTBSの人気番組「ザ・ベストテン」の野外生放送が行われたとき、”Sweet Memories”を歌う歌手に向かって
セイコちゃ〜〜ん!
と叫んで注意されたり、
販売員のときにアノ女優・原田知世さんにラジカセ売ったとか、
私ゃミ〜ハ〜のケが強いでっせ〜
・・・らしいのです。
セールスマンとして広島にいた頃、Jリーグが発足。
小学生のころからサッカーを嗜んでいた彼は、当然「サンフレッチェ」のサポーターとなりました。
京都に戻ると、これまた当然
パープルサンガ
そして彼は写真屋であるので、
「ラモス選手と一緒に撮したんありますねん〜♪」
と、まことに楽しそうでありました。
今は小学生サッカーチームの監督として関わってます。
さて、きょうとwel.comでの役割は、ユーザーインターフェース部門・・・・
でありますが、加入店舗用のそれを担当しているので、残念ながらオモテには現れません。
また、京都府下数百軒にものぼる写真材料商業組合のマトメ役としての面もありました。
とにかく、オッソロシイほどの重労働をこなしています。
整然と陳列されたイチオシの各種フィルター群。
ニコンF2をいじりながら・・・彼は云います。
世の中はデジカメの時代。
しかし写真の撮り方は不変です。
また、デジタルデータとなった画像をプリントするのも、写真屋でやるほうが遙かに綺麗に仕上がります。
『記録としてシッカリ残せるもの』
これを作るのは今も昔も写真屋の仕事ですわ。
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