メールマガジン購読会員様だけにお送りする「京の隠れ名所」シリーズ第弐六弾




火除天満宮

ひよけてんまんぐう


京都で一番の繁華街、四条寺町という地帯のすぐ南、戦後から電気店が立ち並ぶ一角に
『火除天満宮』 はあります。

東に高島屋、西に藤井大丸などの高層建築の狭間にひっそりと。

←北野天満宮でも見られる牛像

頭を撫でて、自らの頭へ御利益を分けて頂く。


今ではとあるビルの一部のような形になっていますが、その始まりは戦国時代も終わりに近い天正7年(1579)と記録されています。

菅原道真最期の地、九州大宰府から兵乱を避けるためにひとりの老神官が道真の像を背負って京都にやってきました。
記録では「六条街で祀った」とありますが、これが現在の六条通り(と、言えど東西に距離がありますが)周辺であったのか否かは不明です。

天正15年(1587)には烏丸二条・龍池(たついけ)と呼ばれる地区に織田信長・信忠の菩提を弔うために創建された「大雲院」の鎮守社として迎えられ、豊臣秀吉のいわゆる「町割り」政策によって、慶長2年(1597)大雲院とともにこの地へ遷座されました。

ちなみに、大雲院の山号は「龍池山(りょうちざん)」となっているのは最初に建立された地名から来たものとされています

元治元年(1864)の蛤御門の変では、戦闘に端を発した火の手は27513戸を焼き尽くした大火であったのですが、この一帯だけが奇跡的に類焼を免れました。
これ以降もしばしば火難から救われたという伝承があり、 学問成就とともに火除の神 として多くの信仰を集めています。



昭和48年(1973)「大雲院」は現在の円山へ移転し、その跡地は京都高島屋駐車場の一部になりました。
火除天満宮は 「天満宮二十五社第九番」 というステータスとともに、いまもこの地に鎮座しています。

また、古来より豊かな伏流水を汲み上げているご神水。
誠にまろやかにして澄明、いにしえより変わる事なくコンコンと湧き続けているのです。


地図

四条をはさんで北側には、本連載題2回目の「そめどの院」があります。

京都で最高に賑やかなこのあたり、なぜか心癒されるオアシスの如き存在です。



火除天満宮HP