メールマガジン購読会員様だけにお送りする「京の隠れ名所」シリーズ第弐四弾




梅宮大社




京都市右京区・嵐山からほど近く、この季節には梅の花がまことに美しい神社があります。

記録によると、約1300年前(ということは平安遷都以前)橘氏の氏神として酒解神(サカトケノカミ)と讃えられる大山祗神(オオヤマズミノカミ)を祀ったのがはじまりとされています。
ちなみに、大山祗神は皇祖天照大神(アマテラスオオミカミ)の御孫であります。



酒の守護神として、酒樽が多数奉納されています


もともとは今の京都府相楽郡井出町の辺りで創建されたのですが、その後約50年の間に奈良へ遷り、さらに平安遷都とほぼ同時期には現在の地へ遷されました。

祭神は
酒解神(サカトケノカミ)
大若子神(オオワクコノカミ)
小若子神(コワクコノカミ)
酒解子神(サカトケコノカミ)

酒解神の御子、酒解子神こと木花咲耶姫命(コノハナサクヤノヒメノミコト)は大若子神こと瓊ヶ杵尊(ニニギノミコト)と一夜の契りで、やがて小若子神こと彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が御生まれになりました。
そこで姫は歓喜して狭名田の稲をとって天甜酒を造り、これを飲まれたのです。

ということで、ここ梅宮大社は安産と造酒の神として古くから崇められています。

醍醐天皇の御代に定められた延喜式では、国家の制度にのっとり、名神大社というもっとも高い格式に置き、案上の官幣と呼ばれる最高の儀礼をもってまつられることになりました。

更に日本中で特選された二十二の大社の中に加えられ、明治の初めには官幣社に列せられました。

本殿東側に「跨ぐと子供が授かる」と云われる『またげの石』があります。
また、境内の砂も安産を呼ぶという民間信仰があります。

現在は本殿、拝殿、幣殿、回廊、中門などで構成されますが、主要建造物は元禄十一年、火災で焼失。
元禄十三年(1700)再建されたものです。
本殿、若宮社、護王社、楼門、拝殿は昭和58年4月「京都府登録文化財」に指定されました。



境内には広大な神苑があり、大堰川(※)の水が引かれた池辺にはカキツバタや花菖蒲が多く、西方の梅林もまことに美しいものです。
地理的に太秦撮影所に近いこともあってか、以前は「暴れん坊将軍」などのロケ地として使われていました。

また、東神苑内の池にある島に「池中亭」という茶室がありますが、これは百人一首で大納言源経信の作品『 ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに 秋風ぞふく』にも歌われたモノであります。


2月中旬ではまだ"2分咲き"という感じでした。
※京都府北部にその源流を持ち、南では淀川へ接続する川。
嵐山・渡月橋までは「保津川」
四条・松尾橋までは「大堰川」
淀川への接続点までを「桂川」
と呼ばれています。


地図