メールマガジン購読会員様だけにお送りする「京の隠れ名所」シリーズ第弐参弾




坂上田村麻呂公園




この公園の名前となっている坂上田村麻呂とは、あの初代征夷大将軍、平安前期の武将
坂上田村麻呂 その人であります。

田村麻呂略歴:
奈良時代の武将であった坂上苅田麻呂の子。延暦20年(801)当時の日本では大きな問題となっていた蝦夷地を平定するため征夷大将軍に任命され、遠く陸奥に出兵、これを治めて大変な功績をあげました。
京都でも弘仁元年(810)の薬子(くすこ)の乱などで活躍し
弘仁2年5月23日、死去、享年54歳。



ここで葬儀が営まれ、嵯峨天皇の勅にによって甲冑・剣や弓矢を具した姿で棺に納められ、平安京に向かって立ったまま葬られたと伝えられています。

田村麻呂はまた仏教の信仰も深く、清水寺を創建したことでも有名ですが、東北地方には大同2年(807)頃に蝦夷征伐を祈願して建てたと云われる神社仏閣が数多く、彼の手植えとされている樹齢1000年以上の古木も多く残されています。

この墓地は明治28年、平安遷都1100年祭にさいし整備されたものです。

山科の地図を眺めているときに史跡としてその文字を発見したのですが、実際の場所がなかなか分かりませんでした。
現在工事中の稲荷山トンネルにより、京都市街地と直線的に結ばれる新十条から小栗栖方面へ抜ける、細いけど交通量の多い道路沿い、よーく見てみると市立勧修小学校の北に、ここへ通ずる道があります。

歴史書には必ずその名がでてくる坂上田村麻呂。

平安期の英雄は、知らなくば通り過ぎてしまいそうな処で、静かに、あまりにも静かに眠っているのです。

ここから北西方向、京都東山に将軍塚があります。
桓武天皇が平安遷都した際に「都の永代の繁栄を祈願せんとす。」との和気清麻呂の進言もあり、田村麻呂をモデルとした武将像をこの墓地に埋葬された姿のままに埋め込んだという記録もあります。

ちなみに、百人一首にも含まれているこの歌の作者
坂上是則(9世紀後期〜10世紀前期)は田村麻呂の五世孫です。


地図