旧東海道の西の起点、三条大橋(京阪電車三条駅そば)から三条通を西へ約300m
三条名店街を抜けて御幸町通と麩屋町通の間
とある建物の一角にひっそりたたずむ石があります。
この辺りは
京都市中京区三条麸屋町東入る弁慶石町
と申しますが、
その名の由来がこの石にあったのです。
弁慶は幼少の頃、三条京極(この場所から東へ少々)に住んでいました。
この石は『石ふぇち』(だったかもしれない)彼が熱愛したと伝えられています。
彼の死後には奥州高舘のあたりに移されました。
あるとき、
三条京極に往かん
と、突如これが叫き出し、それ以来周辺では熱病が蔓延したので土地の人が恐れをなし、享徳3年三条京極寺に移し、以来この辺りを「弁慶石町」と呼ぶようになりました。
その後、市内誓願寺万丈の庭に移されましたが、明治26年3月、町内有志によりここへ引き取られ、
昭和4年7月12日、この場所に安置されました。
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各地に、弁慶にまつわる『石』があるようです。
北海道には『刀掛岩』『薪積岩』(これはイワ)
和歌山に『弁慶の腰掛石』
京都にも市内から少々離れた園部町に『弁慶たて石』とか・・・
ホントに石が好きだったんでしょうなぁ
ここではこの石にまつわる諸伝説を御紹介致しましょう
- ◆室戸台風(1934)
- 某企業がこの地を買い取り、移動させたときに台風直撃。街が壊滅的打撃を受けました。
そのとき、どこからかやって来た行者が祈祷しはじめると、「びゅ〜びゅ〜」と発声し、弁慶を恋しがったとか・・
- ◆超大型砲丸投げ
- 力自慢の弁慶が比叡山から力一杯投てきした際、ここまで飛ばされてきた。
- ◆化身
- 陸奥国衣川の戦いに立ち往生した弁慶がこの石になった。
- ◆流れ石
- もともと鞍馬口あたりにあったこの石に弁慶がいつも腰掛けていて、それが洪水のときにここへ流されてきた。
- ◆他人のモノ
- 大工に弁慶仁右衛門という人があり、その家の庭にあったモノ。
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ナゾ多き石ではありますが
「男の子がさわれば、力持ちになる」
「火魔・病魔からのがれることが出来る」
といい伝えられ、町内の守り神としてたて奉られています。
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