メールマガジン購読会員様だけにお送りする「京の隠れ名所」シリーズ第六弾


陰陽師・阿倍晴明を祀る

晴明神社


最近は”陰陽師”ブームで『かくれ名所』でもないようですが・・・

京都市上京区・堀川今出川下がる西側にあります。

近くには晴明が自在にコントロールしたといわれる”式神”たちが住んでいた「一条戻橋」もあります。

[注:式神とはゴーストスイーパー美神を見てください(^o^;)]


ここは晴明公の邸跡なのです。
寛弘二年に彼が85歳で死去したあと、寛弘四年に時の帝一条帝が鎮霊の勅音を以て、神社として建立しました。

生前の功績を知る人々は本邦歴占の祖として崇め、
方除・厄除・火除・・等、その霊験は疑い無いものでした。


境内には三基の神輿が安置されています。
(写真はこどもみこし)



参道は、堀川通りから次の道路までの極短距離なのですが、大きな狛犬さんが迎えてくれます。


阿倍晴明(延喜21年[921年]〜寛弘2年[1005年])

彼の経歴などには諸説あるようですが
これは晴明神社にある由緒書からの引用です。

晴明公は孝元帝の皇子大彦命の御後胤にて、幼時より学芸に秀で特に天文暦学の道に通達し神道自在の妙術を得らる。

長するに及び天文陰陽博士として朱雀帝より六代の帝の側近として、移り行く星・雲を見て宮中の変事を予知し遠国の吉凶を判断する等、数々の功績を立て給い、浅野の信望極めて篤く我が国独特の陰陽道を確立し今日我々が日常生活の基準とする年中行事歴術占法等此の特を創りとす。

寛弘二年御年85を以て当地に薨ず時恰も平安中期なり。


☆「土御門家記録」によると45歳で没したとあります。

☆出生地には大阪・茨城・香川と、諸説あります。


地図


阿倍晴明に関して、大変多くのウェブページが存在します。

ご興味をもたれた方は、検索されることをオススメします。




もう一つのコーナー「京の名物店主・店員じゅずつなぎ」