昭和30年、吉井 勇、谷崎潤一郎らによって建立された。歌碑に刻まれている歌は、吉井勇の作で 「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」です。 この歌は、祇園の思いを詠んだもので石川啄木らと編集を担当した「スバル」にて他の祇園を詠んだ歌とともに発表されました。 (4月中は「都をどり」で賑わう祇園周辺)
この白川沿いの石畳の道は昭和20年頃まではなく、お茶屋が立ち並んでいたそうです。祇園白川に「大友」あり「大友」に「お多佳さん」ありというぐらい有名なお茶屋がその中にありました。 明治、大正、昭和の初期まで祇園の新橋に風流な時代がありました。 なぜ、「大友にお多佳さんあり」と言われたのかは、小説好きで、俳句や書画を心得、はたまた三味線の名人だったそうです。そんな、文人たちが集まったお茶屋が石畳の道にあったのです。
この歌碑は、吉井の古希の祝いに「大友」のあった場所に谷崎潤一郎ら数名が建立したそうです。
京都へお越しの折には是非、この石だたみを歩いて文人たちの粋を感じとうおくれやす。 白川の流れの音もどこか風流に聞こえるかもしれませんな。 石碑全体像之図 |
吉井勇之図
また、今回御紹介のところから少々東方になりますが、浄土宗総本山・地恩院の南門前にあったのは 室戸台風被災師弟愛の銅像の下に吉井勇の詩が銅版に刻まれたものです。
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場所は地図中の赤い二重マルのトコロ。
大和大路白川南通りから白川沿いに東へ約50m
花見小路側からでも西へ約50mの位置にあります。
最近では、祇園名物となりつつある「一銭洋食」なるものがあったりします。