一期一会(いちごいちえ)」
私は京都の二条城のそばの下町の商店街にあります、「小さな帽子屋さん」です。
私の大好きな言葉で常日頃心掛け、目標と致しております言葉に、「一期一会(いちごいちえ)」という言葉があります。
「一期一会」を辞書で調べると、<山上宗二記の中の「一期(一生)に、一度の会」から>、茶の湯で茶会は、毎回、一生に一度だという思いをこめて、主客とも誠心誠意、真剣に行うべきことを説いた語とあります。また山上宗二(やまのうえ そうじ)氏は、安土桃山時代の茶人で、千利休に茶を学び、豊臣秀吉に仕えた人で、茶の湯秘伝書、「山上宗二記」(茶道の基本資料)を著した人物です。
私は茶の湯の心得えを持った知識人でも、また、哲学者でもなく、一庶民としての帽子屋さんですので、そんな京都の帽子屋さんの独り言として、ご覧くださいませ。
私にとりましての「一期一会」とは、今、まさにこの文章を目にされ、「何が書いてあるのかな?」と思われ、読まれようとなされている貴方様との出会い、ご縁をただ純粋に「一期一会」の出会いと感じます。
毎日、一歩外に出ると東西南北いずれの方向に向かって進んでも、多くの人とのすれ違い、出会いがあります。また、出張や旅行などに出かけると、全国中いたる所に多くの人々が日々、生活し、また、それぞれの家庭には、その時々の喜怒哀楽が存在することを感じます。
そうした出会いの中で、例えば電車に乗り、たまたま目の前に座られた人を「べっぴんさん(綺麗な女性との表現言葉です)やな〜」とか、「男前はん(ハンサムな男性の表現言葉です)やな〜」とか、思ったりします。と、同時に「あぁ〜、この人とはこれが最初で、この後 一生涯、出遭う事がないのかも知れないなぁ〜」と、感じたりします。
京都の例え言葉で、意を決して行動することを「清水(きよみず)さんの舞台から飛び降りる」と、表現致しますが、文字どおり一大決心の思いでご縁を求めると、良き彼女(妻)、また、良き彼氏(夫)となり、躊躇した多くの出会いがその人の人生の中でのほろ苦い、淡い、失恋の数々となったりします。
お話しが少し横道に反れそうですので元に戻ります。
私は一人の人間としての数多くの出会い、また、帽子屋さんとしてお客様と接する際には、常にこの「一期一会」の精神で接する事が出来ます様、日々、心掛け、努力し続けたいと思います。勿論、一度きりで「ハイ、サヨウナラ!」という意味ではありません。常に初めて接する人々にこの「一期一会」のおもてなしの精神で臨み、これをご縁として末永くお互いの人生を楽しみ、分かち合うとの気持ちです。
京都は、千利休より集大成された茶道のお家元のある街として、毎年、全国各地よりのお客様がお見えになられ、また、店頭にも遊びにお越しくださいますが、私も含めまして、皆様方にも、とても興味深く思われるのでは?と思います、そんな人々のお話しや、また、愛読致しました「主格一如(しゅかくいちにょ)、金融財政事情、刊行」より、茶の湯の世界を一部ご紹介させて頂きます。
本来の「一期一会」の語源となりました茶の湯の心を表現する言葉に、「主格一如」という言葉があります。茶席において主人とお客様とが渾然一体となってしまう状態を表現しています。
また、今でも茶席にはいるときはまず、躙口(にじりくち)というとても狭いところから入らせられます。しかも、その脇に刀掛け(かたながけ)というものが置いてあります。なにも使わないのになぜそのようなものがつくりつけてあるのでしょうか。それは、「刀」というものが俗世間の権力と力の象徴で、「刀を置く」ということはそういったものは全部、そこで捨て去るということを意味します。そして、丸腰になって躙口のほんとうに狭い入り口から入っていきます。
そして、茶席に臨みますと先ず五感を殺します。その五感が次第によみがえってくるときには、前よりも生き生きとした、繊細な感じが生まれ、そこに侘び(わび)、寂び(さび)という新たな世界が開けてくるとされます。このような状態を「寂滅為楽(じゃくめついらく)」と表現し、「寂びる(さびる)」と「滅ぶ(ほろぶ)」と、「楽しむ(たのしむ)」を共にもってし、生死の境を越えて煩悩の世界を離れて、そうして本当の楽しみになるという意味です。(余談ですが、おならを我慢する必要は無いとはおっしゃいましたが、おならをしても良いとはおっしゃいませんでした。品位ひんしゅくの発言、ごめんなさい。おっしゃられました方のお名前は、生涯伏せさせて頂きますが、この問題はいまだに私の脳裏をよぎる、未解決の謎のひとつとなっています。)
茶の湯においては常に、寂滅為楽の状態に近づこうという心構えを大切にされます。この禅にも通じる東洋哲学的な精神世界への修養は、茶の湯の世界のみならず、日常すべてに通じるものとして、あらためて世界中の人々より注目されておりますが、また、ご覧の皆様方にもあらゆる場面での処世術のひとつとして、ご参考になるのではと思います。
また、このような心がけをよく表している言葉に、「青苔(せいたい)日に厚うしておのずから塵(ちり)なし」との言葉があります。青い苔がどんどん伸びていくので、塵が積もっているひまがない。人間の心の中というのはしょっちゅう塵が積もりかけるものですが、しかし、心の中の苔の勢いが強ければ、常に青々としたいい苔が伸びてきて、塵が積もっているひまがない。そういう境地を常に胸の中に持てという心がけを説いたものです。
お話しは大きくそれますが、私はパソコンが大の苦手です。その私がこの「きょうとウェルカム」のホームページに参加させて頂く事が出来ましたのは、運営母体である、KICS(京都情報カードシステム、各商店街、各団体より選出された店主さん達の集まりです。)の協議会にご縁を頂き、参加し、各メンバーさん達の私利私欲を捨てた熱意溢れる姿勢に感動、感激したからに他なりません。(今でも強く脳裏に焼きついています。)また、京都を代表する企業のひとつ、オムロンさんはじめ、地元金融機関、関係各機関の全面協力的なバックアップ体制のおかげです。
今でもパソコンの前で辛く思った時などは関係各メンバーさんの、「一期一会」のご縁を頂けた情熱的な姿を思い浮かべ、自らを励ましております。ご覧の皆様方にも是非、知って頂きたく思いましてご紹介させて頂きましたと共に、紙面をお借り致しましてあらためまして、各メンバーさんの日々の努力、活動に敬意を表し、ご感謝申し上げます。(ほんとうに、おおきに、ありがとう、また、ご苦労さんどす)
また、本来ホームページが無ければまた、ご覧頂く事が無かったらおそらく一生涯お会いする事が無かったであろう皆様方との「一期一会」のご縁には、本当に、日々、感謝、感激の思いでいっぱいです。
終わりに、「一期一会」を英訳辞書で調べると、「she does everything as if it were 「a once-in-a-lifetime chance」(a special occasion)、彼女は何事にも一期一会の心で臨む」とありましたが、外国人の皆様方がご覧になられておられましたら、まことにごめんなさいなのですが、この心は哲学者、西田幾太郎さんが取り上げておられるように、「物となって考え、物となって行う」との西洋哲学思想には無い、禅の思想に深く根ざした東洋哲学思想ならではの精神世界であるかに感じ、思います。(あくまでも一般論としてです。だからこそ世界中の人々に注目されているのではと思います。)
「一期一会」、この表現しがたき優しき魅力的な響き、余韻を持ったステキな言葉、ご覧の貴方様には如何様に感じられますでしょうか。茶の湯の心より発した侘び、寂びの世界、四季の移ろい、狭いながらも日本に生まれてきて良かったなぁ〜。日本人であって良かったなぁ〜。などと思ったりします。「一期一会」のご縁に接する時、「また、人生、楽しきかな」との思いでいっぱいです。

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