楚囚之詩と雑巾先生


実物を見たことのある人はごく稀という超稀覯本


 世に伝わることの少ない本を稀覯本などと呼んだりするのですが、ここ四年ほどの間に京都で行われた大市(全国規模の古書業者間の入札による古書の売買)で文学関係の、噂だけは有名で、実物を見たことのある人はごく稀という超稀覯本がふたつ姿を見せ、どちらも手にとって愛撫する幸運に恵まれました。
 ひとつは平成十四年の京都組合大市に出品されたもので、明治の文豪のひとり北村透谷がまだ有名になる前、本名の北村門太郎の名前で自費出版した「楚囚之詩」です。
 刊行後まもなく著者により回収廃棄されたということですが、店頭に並んでいたわずかの期間に売れたものがあったらしく、透谷の名声が上ってからは、もしあったら幻の本といわれていたものです。のち、昭和の初め、ある古書即売展で大学生が雑本の山から初めて見つけ出し、話題騒然となったそうです。

 いまだに古書業界では語り草となっています。この顛末については古書の業界にも詳しい作家の紀田順一郎氏が「古書街を歩く」(新潮選書)のなかで面白く書かれています。それによるとこの「楚囚之詩」は四、五部現存しているとのことです。


 もうひとつは翌年の平成十五年に京都で開催された全古書連大市に姿を現した小尾十三著「雑巾先生」です。昭和十九年後期の第十九回芥川賞は八木義徳の「劉広福」と共に小尾十三の「登攀」が受賞しました。この「登攀」が収録された単行本が「雑巾先生」です。
発行されたのは康徳十二年二月五日、出版社は満洲文藝春秋社です。そう、この本は現在は中国東北地方といわれている満州の新京(現在は長春)で出た本です。康徳十二年とは昭和二十年に当たり、終戦の年です。終戦の約半年前に出た本なのです。
終戦直後の満州はソ連軍の侵攻、駐留などがあり、命からがら引き揚げてくるのがやっとというのは想像に難くありません。そのような状況のなか誰も持ち帰った人はいなかったようです。

 また出版後、日本に船荷で送られたものも米軍の潜水艦の餌食となって海の藻屑になってしまったようです。この幻の本が最初に姿を現すのは誰よりもこの本に思い入れのあった人物、著者本人が持帰ったものをご令息が所蔵されていたのがわかってからです。これを元に復刻が出ています。またのちに佐藤春夫宛献呈本が大市に出てきて、ちょうどバブル真最中の時期でもあり非常な高値を呼んだこともありました。今のところ現存する「雑巾先生」は五、六部というところでしょうか。ところでこの平成十五年の全古書連大市に出てきた本は南満州鉄道株式会社巡回書庫の大きなハンコが押してあり、裏表紙を開けたところに図書カード入が貼り付けてあり図書カードが入っていました。大連にあった満鉄巡回書庫という図書館の旧蔵だったのです。ということは人民政府に接収されたものが時機が来て中国の古書店に出まわって、それを店頭で買った人物が日本に持帰ったと想像されます。


 ところでこれらが稀覯本たるゆえんを考えてみますと「雑巾先生」の方は、賞物マニアというのがいて、特に芥川賞はその最たるもので、第一回の受賞作から揃えるのを生きがいとする人種です。この「雑巾先生」は業界用語でキキメとよばれるところで最大の難物なっています。反対に言えば、キキメさえあればそれ以外を集めるのは比較的容易ということになります。「楚囚之詩」は明治の文壇で特異な位置を占め、夭逝したあとも名声は上る一方だった透谷の処女出版ということに価値があるということです。確か高校で習った日本文学史にも出てきます。教科書に登場する本の初版は何れも高価なものがほとんどです。余談ですが透谷のように無名時代に本名で自費出版したもので現在、稀覯本とされているものに夢野久作の「白髪小僧」があります。一度お目にかかりたいと思っています。


 京都では夏の下鴨納涼古本まつり、秋の京大前の知恩寺古本まつりで比較的大きな百円均一コーナーがあります。この百円均一は古書ハンターにとって稀覯本を狙う格好の猟場です。毎回初日だけにかぎらずかなりの人だかりとなります。「楚囚之詩」にしろ「雑巾先生」にしろどちらも貧相でみすぼらしい本で、もし百円均一に交じっていても一つも違和感はありません。稀覯本とはそんなものです。そして知らない者には目にとまりませんが、知っている者にはキラッと光ったりします。


 ちなみに平成十四年の大市に出た「楚囚之詩」、平成十五年の大市の「雑巾先生」の大市での価格ですが、どちらも二百万円以上と聞いています。

当店のホームページもご覧ください。

〒601-1439
京都市伏見区石田森東町5-8
津田書店 津田周一
TEL/FAX 075-574-1897
E-Mail tsuda@s.email.ne.jp
ホームページ http://www.ne.jp/asahi/tsuda/book/