「京寿司」の話


    すしときいておもいうかべるのはどんなすし?           
“京”のつくもの。京人形、京料理、京菓子、・・・・・・
         寿司 にも京がつきます。 “京寿司”  いったい京寿司とは何でしょう?
 単に、京都地方の寿司なんでしょうか。 あるいは、伝統や、歳時記に則して、古くから京都人に磨かれ、育て上げられた寿司。 それとも 京都ファンの気を引く為に作ったものでしょうか???
 私は ”京寿司”というと  「お座敷に映える寿司」  人の集まりの中、卓上。 鯖寿司、巻寿司、箱寿司、鱧寿司・・・・・小鯛も使いますね(生ものは使いません)。 などを、大皿や大鉢にドーンと盛りつけた様子を 想像します。 座敷の情緒を壊さず、話に花が咲いている時には、少々の出番待ちがあっても味が落ちないように工夫してある寿司。  カウンターでのにぎり寿司は、是非ともすぐにいただきたいものですが。
 ちなみに ”盛り合わせ” といって、にぎりずしと箱寿司、巻寿司などが一緒になったものが有ります。 これは、戦後 占領軍の指導のもと『GHQ規格』として、つくられたモノで、箱寿司、巻寿司に不慣れな、関東の寿司屋さんは、ご苦労されたと聞きます。 古い職人さんのお話では、当時 魚がなくて 「サメで、箱寿司をつけた。」(つけるというのは、熟れずしを桶に漬ける の名残り)まあまあ美味しかった との事、やってみようと思いましたが、水族館のジンベイザメと目が合って以来キョウザメ。新しい伝統が生まれたかも知れなかったのに。 京寿司といえばサメ!と。
 脱線しっぱなしですが、 京寿司。 当店の大正9年のメニューを見ますと、 壽司四十銭。 以下 ちらし壽司五十銭、東京壽司六十銭、名物弥次喜多、玉子巻も六十銭(卵たかいですね)などとなっております。 鯖寿司とも箱寿司とも記載のないところを見ますと、 初書きの 壽司四十銭は、 おそらく鯖や箱の事では無かったかと思います。 昔々“壽司”で通じる寿司があったとさ。 「寿司屋は、近所商売」 と申します。 交通の発達で、寿司にも “京“ がつきましたか? 詳しい事は解かりません。
 たった80年程前のことがワカラナイノ? 大先輩 ろいろな人に聞きましたが、 大正から戦後しばらく寿司屋は大混乱(ひょっとしてうちだけ?)しておりまして・・・・関東大震災後京都にもにぎりずしの看板が増え、製氷機の充実で氷をふんだんに使えるようになり夏も営業(昔、寿司屋は夏、積極的に営業しませんでした) 戦争で米と魚が配給となり当店は一時雑炊屋に、中にはポン菓子屋になったお寿司屋さんもあります。 戦後は・・・どうもマ元帥は寿司屋が嫌いであったのか、ハエが来ないように寿司屋は全部網戸にせよと命令したり。 とにかく大変であったと思います。 ああそれに強制疎開。1週間後に取り壊すので出てゆけと・・・・・・・・ひどいはなし
 さて、気を取り直し伝統と歳時記についてですが
 「よく知ってる人間が、兵隊にとられてまだ帰って来ませんので・・・」・・平和でありたいものです。
『ちょっと聞きますけど、お座敷って家に無いんですけど』

・・・・・…・・・・・・・・・・頭痛・・・・・・・・・・・・・・・めまい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

迷子になったら、もと来た道を戻るとするか

とんだ行方不明なお話になってしまいました。次回はもっといいお話を。
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