雑感「言葉は文化」
 
 インターネット環境の普及で最近では家にいながら、それこそ昔なら世界一周しなければ得られなかったほどの情報も、いとたやすく自己薬籠中のものにする事が出来る世の中になりました。

『関西弁についての書き込み』
 先ほど、何気ないネットサーフィンの果てに、とある掲示板にたどり着き、色々な書き込みを読んでみると、それは関西弁(?)についての書き込みサイトでした。

 若い人たちが個々思うところを書き込んでいます。


 意外だったのは書き込んでいる人たちの、自分たちが生まれた地域の言葉についての心情や、それに対する想いの吐露が半端でないと言うことでした。

 正直言って、若い人たちも自分達の生まれた所の言葉について、「なかなか考えている人が多いんだなぁ」と感じたことは確かです。
 読んでみて改めて思ったことですが、私にとって「方言」という言葉には中央集権的、高みから見下ろすようなニュアンスが感じられて好きにはなれない言葉ですが、同じ思いを抱いている人も結構いるようです。

 関西中心のサイトですから、書き込まれている物を読むと、テレビでタレント達がしゃべる、東京を中心とした標準語とも言えない奇妙な現代の東京言葉に対する、「なにわ」の反感もあるのでしょうが、長らくこの世に巣くってる年寄りから見ると、どうも吉本のタレント連中がしゃべる、変に強調された早口言葉を「関西弁だ」「大阪弁だ」と一括して勘違いしている面があります。
 “なくなりつつある、土地言葉”
  大阪弁や関西弁と言う言葉自体が、知っている限りではここ30年位の間に作られた物だと思います。

 今の大阪では、昔のはんなり、ゆったりした船場言葉など逆立ちしても聞けませんし、しゃべれる御寮はんにもお目にかかれません。知り合いのかつての島之内のぼんぼんは、島之内の商家の言葉も遠いものになったと嘆いています。

 また古い京都言葉そっくりの名古屋山手言葉などはすでに絶滅し、三河弁が幅をきかせています。
 現在の京都の言葉も同じく様変わり。通信環境、交通機関の発展が言葉には悪い影響を及ぼす一面があるのでしょうね。
悪い意味言葉が普遍化してしまっています。
 
 そのサイトの管理者とのメールのやり取りで、こちらが気付き説明したことは、掲示板で盛んに言われている言葉への想い、言葉の違いへの若い人たちの意見や書き込みが、言葉の違いを地区の異なりに限定された前提で語られているということでした。

 若い世代にとって、戦前の身分社会を説明しても想像の埒外ですが、それを判った上で言葉の違いを言わないと、言葉という文化への理解が中途半端になります。

 上下関係、身分関係、男女、生業などの違いに地区の違いを加味しないと、とんでもない勘違いになってしまうわけです。
 
 彼は米朝の落語をよく聞くと言います。只、疑問は噺の「百年目」や「たちきれ線香」など、好んで聞く作品に語られる言葉が本物であるかどうかだと言います。

 そこで、出来ればもっと古い笑福亭円歌さんのレコードなどを聞くと、また口調、言葉が異なる。無論その後の笑福亭松鶴さんの言葉も口調も又違う。でも落語はやはり語り口ですから作為的な部分もある。そのことを説明しました。

 例として映画やドラマの「忠臣蔵」は創作で史実と違う部分がたくさんある。それと同じように名人が語る落語の言葉も本来世間で話されていたものとは違う部分がある。
 それが良い悪いじゃなく想像と推理を働かす事が本来の言葉に近づく一番の方法だと説明しました。

 又、彼曰く、東京の友人と言葉の話をすると、関西の言葉、特に河内言葉は「怖いもの」と言う偏見があって、いくら説明しても聞いてくれない。映画やTVの影響でしょうがそれが悩みだと。
 そこで、本来の河内弁は言葉そのものは強烈な感じを受けるものですが、しゃべり方はもっとゆっくりと穏やかな言い回しであること、世間に河内弁などと言われている言葉は、河内言葉に泉言葉や摂津言葉がたくさん入っていて、言い方そのものがきつく早くなっている、アクセントを付ける場所が違ってきているから、河内と言っても範囲が広すぎるし八尾を中心とする本来の河内弁とは違う事などを説明しました。

 「目から鱗が取れました」と返事が還ってきました。

 「日本アホバカ考」は大変な名著ですが、(私にとっては)これを読むと言葉の移動や推移がよく判ります。ぜひ一読をと言いましたら「読みました、読みました。あれは面白いですね。まさに言葉は文化と言う事がよく判ります。」との事。これを読んだことがこのサイトの立ち上げのきっかけになったようです。

 まあ、映画やTVなどでタレントがしゃべる言葉は色々面白おかしく混ぜ合わされたものです。ところがそれを本物と勘違いする事が多く、作られた言葉が一人歩きしています。これは誰にも止められませんね。(笑)それに異議を唱えると袋叩き。(笑)

 言葉は変わっていくもの、作られていくものといくら言っても、長年かかって洗練され生き残ってきた言葉以外の、本来その土地にない言い回しや言葉は戴けません。文化の破壊につながると考えます。

 京料理(この言葉も造語です)は薄味であるという錯覚が人口に膾炙しているのと同じことですね。
 ご存知のように、京都でも盛んに言われている言葉の中に、昔からあるように錯覚されているものがあります。

 また、言葉のもつ一面にはこういう事もあります。

 例えばその家の母親が遠く離れた所から嫁いで来て、子供の頃に生家で使っていた言葉を嫁ぎ先で使っていると、生まれた子供はその言葉なり単語なりを昔から京都で普遍的に使われている言葉だと錯覚してしまう。ということです。

 流行り言葉はいつかは消えていきますが、家の中で語られている言葉は別です。
 最近ではあまり聞きませんが、昔から京都の言葉の特徴の一つに、形容詞を2度続けて言うことがあります。たとえば「大きい」や「ちいさい」と言うのに「大きい、大きい」「小さい、小さい」と、繰り返し強調的に言うことがあります。
 「この頃ぞうよがたこついて…」や「そんな、気の毒になぁ…」(ありがとうの意味)「おおきに、おやかまっさんどした」などの言葉と共に近頃ではとんと聞かなくなりました。
 長年培われ、磨き上げられ、余分なものを削ぎ落とされ、洗練されてきた京都の言葉も次世代にその文化背景と共に正しく伝えないと、滅びてしまうと考える今日この頃です。

ガイドにない京都のはなし
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北野 吉彦

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