鴨川納涼床の歴史

京都市内を北から南へ流れる一級河川「鴨川」。その流れは市内の繁華街を縦断して、特に二条から五条河原では市民の憩いの場となって、若いアベックの天国です。

春は鴨堤の桜並木、夏は鮎を釣る人の姿と床、秋は東山の紅葉と鴨堤のもみじ、冬にはシベリヤから飛来するユリカモメ、その四季の移り変わりを鴨川は見事に演出してくれます。

床の歴史は大変古く、営業形態にはなっていませんが、豊臣時代の頃に裕福な商人が夏に遠来の客を遇するのに、五条河原付近の浅瀬に床几を置いたのが始まりだと言われています。

京都の年中行事を詳しく記した延宝5年の「日次紀事」には、

6月7日の神事として祇園会のあとに「四条河原の水陸、寸地を漏らさず床を並べ、席を設く」とあり、

また元治元年の花洛名勝図会によれば、

同様に「6月7日の夜より18日の夜に亘って、四条河原水陸寸地を漏らさず床を並べ席を設けて良賎反楽す。
東西の茶屋茶店提灯を張り、行灯を掲げてあたかも白昼の如し。これを河原の涼みという。

案ずるにこれ遊戯の納涼にあらず。諸人に名越しの夜をなさしめんとの神慮なるべし。
されば13日の夜に至っては、祇園の宵宮とてことに賑わし云云」

とあって、往時の賑わいが偲ばれます。

さらに近年になって、明治時代の床は、7,8月設置されるのが定着して、

四条大橋を中心に、北は竹村屋橋(四条大橋より北へ200m程のところにあった橋)の少し北から、南は団栗橋の南まで出されていました。

昭和9年9月室戸台風が淀川を北上、京都を直撃して大きな被害を受け、その復旧も十分でなかった翌昭和10年6月には、未繪有の年中豪雨によって、京都市を中心とした地域は大きな打撃を受けました。

このときの鴨川の補修工事によって、現在のみそそぎ川ができて、その上に納涼床を設けるようになりました。

昭和17年第2次世界大戦による営業自粛、灯火管制、遊興の禁止などのために禁じられ、洪水で流れたり、金属供出のため終戦の20年ごろにはまったくなくなってしまいました。

戦後、昭和25年に数軒が床の設置を申請。戦後の反動で欄干を朱塗りにするもの、床の脚を舟形にするもの等、鴨川の風致を破壊するようなものが出たため、昭和27年、京都府土木部から「鴨川の高床について」の通達が出されました。

現在、床は店舗に密着する形でみそそぎ川に設置されていますが、本来は床と店舗は渡り廊下でつながっているのが本当の形です。これは洪水で床が流れたとき、店舗に被害が出るのを防ぐためです。

今もなお昔の面影を残し、
江戸時代の粋人のさざめきが現代に生きる人の心に受け継がれ、
鴨川のせせらぎも文明の騒音にかき消されずにとうとうと流れ、
今では治水もいきわたり水もきれいになって鮎が生息するまでなった都市河川鴨川。

休日には鮎を求めて行きかう釣り人でにぎわっています。西岸の料亭や旅館では、涼を求めて来店される人たちが昔を偲び賑わっています。
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五条料飲組合
京都市下京区木屋町五条上ル
料理旅館  鶴清
   若主人  田中信行
TEL 075-351-8518
FAX 075-371-0710
http://www7.ocn.ne.jp/~tsuruse/